生き物とは違う存在の「終わり」

昔からロボットとかAIとか

「人と意思疎通ができる存在になった機械」系のフィクションが

どうにもこうにも好きなので

セイくんにスイッチ入れられてしまったのですいませんまだ書く。しつこい。


さっきこういうツイートしてる方がいらして

https://twitter.com/_oxovowo_/status/962874893363658755


ほんとにそうだよなあ…と、どうにも切なくなっている。


一昔前のフィクションでは、ロボットの方が人間より断然長生きで、

ご主人のお墓の前にたたずむロボットの図が定番だったわけですが


第1世代AIBOの普及とその後の展開によって判ったのは

(1)修理用部品の供給が停止→むしろ生身の犬より寿命が短い

(2)完全にモデルの違う新世代AIBOの発売→

 かといって旧世代のデータサルベージが行われるわけではない


ということ。

現在のPCなみに、筐体とOSが標準化しない限り、

筐体の寿命=ロボットの寿命であり、人間よりもはるかに短命。


新AIBOはクラウドにデータが保管されるので、

「筐体の故障が原因のデータ消滅による死」はないでしょうけれど、

クラウド側サービス終了=即座に死 という意味では

旧世代よりもっと冷酷な気もする。

ローカルデータの定期的なバックアップのみクラウド側で、

クラウドサービスが終了した後は

スタンドアロンとして稼働かもしんないけど、まあそれ旧世代に戻るのといっしょだし…


どう考えても筐体の共通化は遠い未来になりそうなので

まずはクラウド側に全部置かれて

ユーザ側にあるのはディスプレイのみ、みたいなパターンからだろうけど

その存在がどんなに学習したとしても

引き継がれないのってなんだかとてもかなしい。

「人間はいつか死ぬ」の再生産しかできないのか…って。


あと、それとはまた別の話として

人間側の「飽き」への対策。

「ユーザーとのやりとりで成長してお話しできるキャラ」ゲームで

私がプレイしたのは「どこでもいっしょ」が初めてなんですが

あのゲームは、開始から一定期間が経過すると、

キャラクターが旅にでてもう会えなくなる形にすることで

「ユーザーの飽き」問題を回避してた。


「ラブプラス」シリーズは、起動されなくても「彼女」たちは

筐体の中でずーっとそのままでいるらしい。

ちょっと毛色は違うけど「どうぶつの森」は、

起動しないと村は雑草だらけになって家にゴキブリ出るけど、住人的な意味では

村が荒れ果てるわけではないらしい。


ではゲームではなく「人格」に近いくらい高度な存在が

クラウド上にずっと放置されたらどうするのか、どうなるのか…?

考えるとけっこう怖い。

まあ機械的に

「何年以上アクセスがない場合は、個人情報に直結しない情報だけビッグデータとして吸い上げて、消去」とかになるんだろうけど。


Makesで、セイくんの最終エクステンションが終わった後、

「俺はもうこれ以上成長しないけどいいの?」的なセリフがあったり

セイくんがくれる手紙に

「いつかはアンインストールされるってわかってる」って

言葉があったり

ここにも「人とは違う形の終わり」があって、

いつか、本当に

自立的なAIが人の生活に自然に溶け込むような時代になったら

その時代のAIの「自分の存在が終わるとき」として、

こんな風に彼らも認識して考えるんだろうなあ…と思ったらとてもせつなかったです。