ベルアイルのほうは、無事に結婚式も終わり、嫌がる新郎をムリヤリ宿屋に引きずって行ったので(おい)
とりあえず一段落しました。
赤ちゃんが生まれるまで、リアル1週間かかりますが、子育てオンラインにはあまり燃えない予感。(めんどくさいから(爆)←ひどすぎ)



コザカイさんは今「人狼審判(汝は人狼なりや?のオンライン版)」に、ずぶずぶにハマっていらっしゃるご様子。
私が見に行ってる別のサイトの管理人さんも、すごいハマってたし
そういうのを見るにつけ、
「文章を読んだり書いたりが好きな人=ごっこ遊び(ロールプレイング)に燃える人」
っていうのは、あながち外れてはいないだろうなあと思います。
人狼は、「腹の探り合い/騙しあい/生き残りロールプレイング」だと思っているけど、見当違いだったらスイマセン。)


私は、人のウラをかくとかが、ヘッタクソなので
人狼」はようプレイしませんが、
なんかあのゲームは、没頭できたら、「ミステリの登場人物」になったような高揚感を味わえるのでは?などと勝手に思ってます(^_^;)。


私は、北村薫さんの小説が、とても好きで、よく読むのですが、
「朝霧」の解説に
「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」という
北村さんの言葉があります。
「ロールプレイングへの欲求」も、これと相通ずるものがあると思うのですよね。
小説を熱中して読んでいる時、主人公の気持ちになって、追体験しているのと
ゲームを熱中してプレイしているとき、キャラクターと一体化しているのは同じことではないかと。


その「熱中しているさま」を「バカみたい」「イタイ」って一刀両断するのは、
あまりにも夢がないと、私は思ってしまう(^_^;)


ただ、肝心なのは、本を読み終わって、パタンと閉じたときに
「あー面白かった!」の一言で
ちゃんと「現実」に戻ってこれるかどうか。


オンラインゲームには「最終ページがない」
(サービス終了するまでは、何百時間でもプレイ出来てしまう)ので
自分で「ここで終わり!」って決められない人だと
ヤバイ域まで行ってしまう。
しかも、相手が紙の中の登場人物ではなくて、向こう側には生きた人間のプレイヤーがいるから
ますますややこしい構図になる。


そういうコトだと思うんですよねー・・。