オルタナブログ通信:ネット自殺や犯罪を防ぐために――悪を絶とうとするより、正義を進められないか

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0805/09/news078.html

まったく同感でございます。
最近の、色んなニュースを聞くほどに、
「危険だから、この『モノ』の使用を規制」するのではなく、
「そのモノを受け取り、使う『人』側を、どうにかしなきゃだめだろー」
と、ひしひしと思います。


ネット犯罪にひっかからないだけの判断力をもてるように、
中学校、もしくは小学校のころから「情報」教育を受けさせる等、
『人』側をかしこくするほうが、
すべてのサイトをフィルタリングして白黒判定するより、
よほど建設的というもんです。
(そんな、無限大のIF文を書くような行為、不毛にきまってるじゃん・・・)


だって、どんなに『モノ』を規制したって、
受け取る側の『人間』によって、その『モノ』の解釈は変わりますから。
毒にもクスリにもなる。


だから、100%の悪と言えるような『モノ』を見てさえ、
「ああ、これはよくないモノだな、こんなことしちゃいけないな」と
判断できる『人』を育成することが出来れば
ぶっちゃけ、フィルタリングというものがこの世になくたって、
犯罪は起きない筈なんですよねい。


生まれつき、どっか脳に障害があって
「人を害することに快感を覚える」人種も、確かにいるでしょうけれど
そういう人はわずかで
大多数は、育成段階での環境および教育によって、
そういう歪みを生じるものだと思うんです。


傷つけられる側の痛みを知らなかったり、
その痛みを、想像することができなかったり
自分がされて嫌なことを、平気で人にする人っていうのは
ちゃんとした教育を受けてなかったり
(学歴という意味ではなく、考える訓練という意味)、
頭を使わないで生きてる・・、
なんつーか「動物的に、脊髄反射だけで生きてる」から
そんなんなってるんじゃないかと思ってます。


「自分の頭で考えよう、
そして、自分の考えが間違っている可能性を、つねに考慮しよう」
これに尽きる気がしますですハイ。


二十面相の娘」の二十面相のセリフ
「自分で見て、聞いて、考える」
まさにそれですよねー