自分を必要としてくれるひとを見つけるよりも
孤独死に耐える精神力を身につけるほうが
困難の度合いは低いのではと思ってしまう
それが今の時代が抱える問題なんだろなーと
ふと思いました
だって
ネットみてたら
さみしいひとがあふれかえってるじゃないですか
もちろん自分も
そのうちの一人ですが_| ̄|○
さみしい同士でくっつけば、さみしくなくなるのに、と
数だけでいえばそういう結論になるんだけど
そうカンタンにはいかないもので。
そんなわけで
こないだの大槻所長のこの日記は
ああ、なんかやさしい文章だなあと思ったのですよ
[大槻心理科學總合研究所]
http://park12.wakwak.com/~x-x/
2008/08/27(Wed)
ひどく哀しい夢をみた。
みた理由がわからないほど本当にひどい夢で。
起きたはいいが、感情すら湧かない程だ。
誰かを抱きしめたいが残念、そんな相手もいない。
相手がいる奴は俺の代わりに15秒、その相手を強めに抱きしめること。
黙って。口を開くな。ちょっと強め。15秒。
絶対やれ。殺すぞ。いいからやれ。死ね。やれ。
相手がいない奴は自由解散。
さみしかったらこっちにおいで。一緒に体育座りしよう。
世の中には
「おいていく人」と「おいていかれる人」がいると思うのです。
どっちが優れているとか、そういう話じゃなくて、
「動的」「静的」の違いと申しますか・・
「おいていく」は、
「早世する」「遠くへ行く」「どんどん前に進む」「違う世界にいってしまう」
ここではそういう、いろんな意味で使っています。
たいへん失礼ながら
大槻所長は典型的な「おいていかれる」方だと思うのですが
(ちなみに自分もそうです。誰かを見送ってばっかりですし)
「おいていかれるから辛いけど、やさぐれたり投げたりはしない」という意思と
「さみしい同士達へのいたわり」を
毎回、文章にこめて書いてはる気がするので
「おいていかれる組」の心には響くのであります。
あと、最近見て、心に響いた文章もうひとつ。
多分こちらは「おいていく」組に属する方ですが。
学生エンジニアの志を踏みにじっちゃったものですがごめんなさい : ロケスタ社長日記
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50689600.html
僕らを踏みにじる大人なんてたくさんいる。
そんなのに負けて踏みにじられたと文句を言うだけの人にはなってほしくない。
ウェブサービスを作りたいっていう熱意があるならなおさらです。
これから死ぬほど踏みにじられると思います。でも同じくらい周りが助けてくれると思う。
別に強くなれ、とか言っているわけじゃないです。ただ、好きなことをやるときに、それをさせない人たちの思うままに操られるのって楽しくないんですよね。
こちらはたぶん
「おいていく組」の同士たちへの
「それでも前にすすみたいのならね」
という真摯なはげまし。
・・・ああ、それにしても。
うまく文章にできません。
もっと練れば、もうちょっとくらいは、
言いたいことが通じる文章になるのでしょうが
なんだか最近、練り方すらわからないのです。