「不安でない事がほとんどない。とても疲れる」は本当に同感。
幼児の頃から、ほんとうにずーーーっとそうなので、
起きている(意識がある)=消耗する時間 だから
寝てる時が一番幸せ。
あとは本とかゲームとかに熱中してて、「自分の現実」から完全に意識が離れてる時がしあわせ。
そう考えると、
「この肉体と意識に付属する、現実の価値っていったいなんだろう・・」と思うけど
おいしいものを食べた時に感じる快楽を得るための、道具でしかないかなあ。
幼児の頃は、それこそ、
ずっとずっと先のことまで考えて、常時不安に押しつぶされていたのが
どうにかしてすこしでも鈍くなろうとがんばって
「不安な事柄の前日の夜まで、それについてフタをして考えない」ようにして、
なんとか生き延びているにすぎないのでほんとへぼい。
そうして生き延びたとて、なんかの価値があるとは思われないけど
そういう時は、社会における極小のユニットとして
一瞬だけ価値が生じているのだろう。
たいして高いものを買う訳ではないが、毎日かう菓子パンのお代が
誰かのお給料の足しになる一瞬もあるだろう。
もちろんないと困るユニットでは全くないが、チリも積もれば、という意味で
無意味ではない、というやつ。
意味があってほしい、と考えるのは空しいが
全く意味がない、と言い切るのは逆にむつかしかろ?みたいなきもちで
ぼんやりいきている。