点じゃなくて、線

昨日、久々にNHKスペシャル見ました。


「赤い背中 〜原爆を背負い続けた60年〜」
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0008/l0809.html


16歳の時、被爆して、背中全面を熱線と放射線で焼かれた
谷口氏のお話。


骨まで達するほどの火傷と、皮膚を遺伝子レベルまで傷つけた放射線のせいで、
現在の医学では、背中の傷が癒えることはないのだそうです。
今、背中をおおっているのは、正常な皮膚ではなくて
むしろ、かさぶたに近いようなものらしく・・。専門用語を記憶していないので、あやふやなのですが。
体重が増えると、背中がそれに耐えられず裂けてしまうほど
あやういもの。(なので、体重管理も大変のようです)
被爆時の、1年9ヶ月のうつぶせ寝たきり生活のため、
胸側も、骨がみえるほどの床ずれに苦しめられたそうで、痛々しい状態になっています。


背中に、皮膚移植をなんどくり返しても、血流がよくないため、生着できず、失敗してしまう。
汗腺が死んでいるので、体温が上がると、背中は灼熱の熱さと痛みに苛まれる。
寝るときは必ずうつぶせ。
車を運転する時も、飛行機で長時間フライトするときも、椅子の背もたれに
もたれるわけにはいかないので、非常に無理のある体勢で耐えなくてはいけない。
その他にも、ほんとうにたくさんの不自由さ、痛みをかかえながら、生活しておられます。
そして、その体を押して、被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えておられます。


なんというか・・・
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)」を読んだときにも、感じたのですが
その方が、ダメージを受けるのは、
被爆」という「ある時点」ではなくて
「その後の人生すべて」という「線」なのですね。


「夕凪の街 桜の国」や、このドキュメンタリーのように
個人を追う形でないと、なかなかそこまで、思い至らない気がします・・。


原爆資料館で、悲惨な写真や、被爆地に残された、さまざまなものを見ても
「原爆」が落とされた日の悲劇と恐怖=「点」の悲劇にしか、
私の場合、思いいたることは、できなかった気がします。


他の人はどうなんだろう?
残された写真やフィルムで、原爆で焼かれた街を人を死体を見たとき、
眉をひそめて「怖いね、ひどいね」と感じた時、
「線」の悲劇まで、思いを馳せることが、できているのでしょうか・・・?