父と暮せば

広島に原爆が落とされて3年後。
愛する者たちを一瞬の閃光に奪われ、生き残った娘 美津江と、
その恋のひらめきからこの世に舞い戻った、お父さんの亡霊のおはなし。


原作が井上ひさしの戯曲で
いかにも、もとが舞台劇というカンジの映画です。
セリフがある登場人物は3人のみ。


ほとんどのシーンが美津江の自宅で、
娘を心配するおちゃめな父親と、けなげでマジメすぎる娘の会話でなりたちます。
ばりばりの広島弁なので、映画を見たのが音響の悪い会場だったため、
会話が聞き取れないところが、多くてちょっともどかしかった。


宮沢りえはやっぱり綺麗でした。
ほっそい手足で、あまり日の差し込まない暗い家の中で、
白く浮かび上がる姿は、なんというか、闇に差し込む一筋の光みたいな感じがしました。
けなげなヒロイン像によくあってたと思う。


お話のテーマは「亡くなった人への罪悪感を抱きつつ生きる」で
「夕凪の街 桜の国」を思い出しました。
家帰って来てから、ネットで検索したら、やっぱり両者を並べて語ってる人が
多かったです。


ネットで、ちらちらと感想を読んだ印象では、


実際に親戚から原爆の惨状を聞く機会があったり、
広島は長崎に住む人たちの中には、
「夕凪・・」や、この映画のようなアプローチを
あまり良いと思わない人も、中には、いるみたいなんだけど、
(このアプローチを、否定してはるのではなく、
『いや、そこから言わないといけない訳?そんなとこで「判った」って思っちゃうのがコワイよ』みたいな感じなのかな・・?と思った)


私が鈍いだけかもしれないけど
「生き残った罪悪感」って、やっぱり言われないと判らなかったので
このアプローチは有用なものだと思う。


「現場に近い人」には、不満の残る表現方法なのかもしれないけど
「現場から遠くにいる人」に対して、アプローチするときに大切なことは
「アプローチの手法、手段」ではなく
「こっち見て。そして気付いて考えて。」って働きかける力だと思うし。

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そして今さら気がついてしまったのですが


私が、何か一生懸命語るときというのは
「怒ってる時」とか「文句言うとき」とか、ネガティブな情熱によるものの方が
圧倒的に多くて
「ああなんてスバラシイ!!」っていうポジティブな情熱によるものは
とてもすくないということ


ちょびっとヘコみ気味なのですよブラザー。