告別式

10時前に、「自宅に引き上げてきた後、お骨や位牌をおく祭壇」を

設置しに葬儀社の方が来る約束だったため、

その前に、今日午前中行くと約束していた銀行に断りの電話をし、

私が勤める会社の営業さんから

「有休申請されているが、慶弔休暇があるがどうしますか」

メールが来ていたので、返事をし。弔電のお礼メールの下書きをし。

 

9:45頃。葬儀社の方が来られたので、祭壇を設置して頂き、謎の容器(お線香の灰入れでした)について教えて頂き。

四十九日を過ぎて?祭壇が不要になったときは、葬儀社さんにお電話すれば、引き取ってもらえるとのこと。お線香のストックが少なかったので、いつ買おう…と思っていたら、うずまき線香をたくさんつけて下さっていたので大変助かりました。

 

祭壇の設置が終わって、私は11時には会場についている必要があるので

さて出かける支度を…となったところで博美おじから電話。

しかし電波が悪いのか、何度も切れてはかけ直し。やっと繋がったら、風邪で体調が悪いので今日の告別式は出ません…とのことでした。

 

電話で時間が押したので、早足で会場へ。

無人のうちに、東京の叔父に送るために写真をスマホで撮り。

進行の方が来られたので、まず式場費をお支払い(高額なのではやく手放せて良かった。早期登録のキャッシュバックもここで)。

お寺さんがいらしたらお布施をお支払い(これも高額なので以下略)

その時に、この先の日程表(四十九日はいつか…とか)も頂く。

お骨上げのあと帰ってくる会場は別になるとのことで、

昨日からお借りしていた会場の鍵も返却しました。

 

12時から告別式。

私、あやちゃん、欣子叔母、板波さん、団野さん、笠原さん、あと私が存じあげないアライさん?という方が列席。午前中雨だったため岡本さんは欠席。

読経、焼香は前日と同じなので緊張はなく。

笠原さんはお足が悪いようで、焼香の時も台にすがってはったので

申し訳なかったです。

弔電読み上げ等のあと、棺を会場におろしてお別れ。お花をいれるやつです。

お花を入れる時に「落したお花は入れないでください」と言われていたのに

アライさんという方は棺の周りにおちたゴミみたいな葉っぱを、拾っては

ポイポイ棺に入れてたので、

思わず「ゴミ箱じゃねえんだ」と心の中でツッコんでしまいました。

家族葬で、その方にはなにも知らせてないのに、こちらになんの連絡もなく

いきなり来るだけあってすげえな、でしたね…

こちらに自己紹介もなく、私が聞きにいくまで名乗りもしなかったし。

私から最初に挨拶したから、最後は挨拶もしなかったけどあの人はもういいよね、と思いました。

 

お花を入れる前に、最後なので触ってください、と言われたのですが

冷たい遺体をさわるのも、故人もペタペタ触られるのもイヤなんじゃない?

とちょっと思いました。最後に顔の周りにユリを入れておしまい。

お棺のフタがされて、その上に花束を喪主が置いて。

男性の列席者が誰もいないので、男性スタッフに運んで頂きました。

ここで叔母が焼き場に行こうかと言い出したのですが、

戻ってきてから食べるお弁当の数変更はすでに出来ないため、「そんなパラパラ変更できません」とお断りして、当初のとおり、あやちゃん、板波さん、団野さん、私、住職さんで火葬場へ。長尾山霊園の横でした。タクシー2台なのに乗る人数がずいぶん少なかったので、運転手さんが気にしてくれてはったようです。こっちの事情なのでいいんですよ…(最初は親族だし、叔父と叔母は行くものだと思っていたので6人で想定していたため)

 

火葬場では炉に棺を入れる前にお焼香して、お経あげて頂いて、だったかな…

記憶がちょっとあいまいです。

13時半くらい?に式場にもどってきて、15時ごろまた火葬場に向かうとのことで

さきほどの会場で、精進落としの昼食。

コロナウィルスが猛威を振るっているため、あまり話さずにまず食べてしまってからお話しましょうねと仕切らせて頂き、団野さんと板波さんが場をもたせてくださって(住職さんほとんど喋らないので)なごやかに過ごせたと思います。

お二人本当にありがとうございました。

 

3時少し前にまた出発して、火葬場でしばらく待ち、お骨拾い。

喪主だけ炉の前に行き、係の方がお骨を台車で押していってくださるのを

後ろからついて行きました。残った方の右足の大腿骨が見事に残っていて

さすが…と感心しました。頭蓋骨は流石に砕けてましたが、歯は綺麗に残ってました。さすが80歳まですべて自前の歯で過ごした母です。

 

係の方がまず喉仏の骨をトレイに拾い上げ、

そのあと足のほうから、指の骨、歯、頭の骨、あたりをトレイにのせてくださったので

それを下半身部分から、遺族が骨壺に入れる形式でした。

残りの骨は共同供養されるそうです。板波さんが、全部もって帰るよう言われるところもあるから、ここはいいわねとおっしゃってました。

 

お骨拾い画終わってまた会場へ。山道なので毎回すこし車酔いしてましたが、

ここでかなり限界になり、着いた時は気持ち悪くなってました。

別の会場で初七日法要をして頂きましたが、気持ち悪い状態で

いっしょにお経を音読していると本当にしんどかったです。息継ぎできなくて。

まあでもとにかく16時ごろにすべて終了。

 

供養品の返品するものの数を数え、預けていた印鑑を返して頂き、

死亡届のコピーを10部、お供えの果物と、仏花と、消毒薬、位牌、遺影を持って

帰宅です。

駅まで4人で話ながら帰り、私とあやちゃんはタクシーで自宅へ16時半につきました。

位牌、遺骨、遺影を祭壇に置いて完了です!

はーもうクタクタだ!!!!

 

あやちゃんには少し休憩してもらったのですが、そのせいで帰り道、JRの運転見合わせにぶつかってしまったようです。ごめんよ…

 

彼女が帰ってから、会社に弔電のお礼メール、クワイアの皆に母がなくなりましたメール。

恒美おじに電話して多額のお見舞いのお礼を言い、

美和子ちゃんに写真を共有ドライブに入れた旨伝え、

江頭さん、荻野さん、えびさん、博美おじ、柴田栄子さん、久仁子おばさんに電話。

たぶんこれで頼まれたことはやったはず…!!

 

あとお向かいのまりちゃんがメールくれてたので、母が亡くなったことを伝えました。

 

留守電におぐらさん?からお電話入ってましたが電話番号が判らないためスルーで。

すみません。力尽きたのでねます