自分で自分の背中は見えないように

自分が正気なのかどうか、自分では判らない。


正気というほど大げさでなくても
自分がやってることが
「正常の範囲内」なのか「奇矯なふるまい」なのか
時々わからなくなる時がある。


じわじわと病みはじめているのかもしれないという怖れは、常にある。
「自分は常に正しい」と信じ込むほど、愚かでも幼くもないからだ。


正気に自信がなくて
狂気を悟られたくないなら、何もしなければいい。
しかし何もせずに過ごすには、残された時間は長すぎる。