穏やかなアプローチ

自分が、視野狭窄に陥っているときに、
穏やかに、違う視点を提供してもらえたとき、
それは、とても幸せなことだと思う。


自分と全く同じ意見を持っている人と、話すのは楽しい。
けど、全く違うアプローチを見せてもらえるのは、とてもラッキー。
波風をたてないために、「うんうん、そうだね、あなたの言うとおりだね」と
当たり障り無く対応されるのも、悪くはないけど、
でも、言われた時、ちょっとムッとしても、
「あ、そういう見方もあるのか・・」って教えてもらえるほうが
より貴重なんじゃないかな、と思っています。


そういうアプローチに、かならず、感謝できる自分でいたいと思う。


そんな、「穏やかなアプローチ」のおかげで、
自分が「とても大事なもの」だと思い込んでいたものが
実は「ものすごくどうでもいいことかも・・?」と、気づいた感じの今日この頃・・・。


たとえて言えば、「小学生にとっての牛乳瓶のフタ」みたいな。
当事者である私は、
それをものすごく大事なものだと思い、そういう接し方をしていたけれど、
客観的に見ると、「なにソレ・・価値あるの?」といわれても、
仕方のないものだと気が付きました。
いまさらだけどね(^_^;)


常に冷静なだけでは、どんな快楽も味わえないけれど
(フタコレクターを嗤うのは簡単だけど、
一度もフタに燃えたことない小学生もツマランという感じ)
いつかは酔いも醒めるというか、醒めなければいけない、ということで。


なかなか、自分の中だけでの思考では、そういうことに気付けないもので・・・・


してもらうばっかりじゃなくて、
他の人に、そういう「穏やかなアプローチ」ができる人に、いつかは、私もなりたいな。